日本の城跡

大御神社・鵜戸神社


本殿・拝殿方向
主祭神ほか 天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)を御祭神とする古社で、「日向のお伊勢さま」として知られ、国内では珍しく絶景の大海原を見渡す柱状岩を背に立つ神社。境内の「さざれ石」群は国内最大規模。また神社境内東奥に位置する鵜戸神社には洞窟があり、奥から外を眺めると、洞窟入口付近の形が「昇り龍」のような姿に見えることから、龍神信仰のの痕跡ではないかと思われる。開運招福・武運長久・平穏安寧を祈願。
印象 なるほど切立った崖の上に、大きくはないがすっきりと立つ神社。しかし海が大荒れの時は参拝者に厳しい試練がありそう。周りを森林に囲まれた「お伊勢さん」とは自然環境が大違い。火砕流が堆積して作り上げた柱状節理はすごい、三代の亀岩、日本一大きなさざれ石、龍神信仰の証「ドラゴンボール、鵜戸神社の昇り龍等々、これぞパワースポットの神社だ。
この神社の隣に日知屋城跡がありました。伊東氏48城の一つで、三方を海に囲まれた堅城。ラッキーでした。
略史  神社は皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建は定かではないが、古文書によれば、皇孫瓊々杵尊が天下った際、尊は当地を通過し、千畳敷の盤石にて、絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念したと伝えられる。後世、この霊石の在る所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬するようになった。また神武天皇東征のおり、大鯨を退治した御鉾を建てたことから、鉾島と呼ばれたが後に細島に転じたと伝えられている。神武天皇はこの時、伊勢ケ浜の港に入り、皇大御神を奉斎する社に武運長久と航海安全を祈願されたと伝えられる。大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は神武天皇の先鋒を務めた天櫛津大久米命の名に因むものである。その後、伊東氏の日知屋城主伊東氏ら歴代城主、延岡城主、幕府代官等に尊崇され、地方の民からも「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬され、親しまれた。社名は御祭神の天照皇大御神からとも伝わるが、本殿に残る木札には天照皇大神宮とある。当社の近くには伊勢ケ浜や五十鈴川という地名が残り、伊勢との繋がりを思い起こさせる。

神社入口

境内

柱状節理が凄い

奇岩

さざれ石方面

さざれ石

ドラゴンボール

三代亀・親亀

同・子亀、孫亀

鵜戸神社・日知屋城跡方面

昇り龍(うまく撮れず)

奇岩